美醜乱漫(2)鬼ごっこしよう

白川静の「美」の字解は実に独創的かつ明快だった。「美」に対抗する「醜」はどうだろうか?再び『常用字解』を繙いてみよう。

「醜」は酒+鬼で、「酒を酌んで儀礼を行っている姿であり、(・・・)邑に祟りがあると考えられるとき、(・・・)祟りを祓うために醜の儀礼を行う」ところから、「醜の儀礼を行う人の姿から、「みにくい」の意味となり、さらに「わるい、はじる」の意味のなったのであろう」

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墓を表す「亞」の中に、三すじに束ねた頭髪を持った人が酒を酌もうとしている様子が描かれている(p.286)。

ところで、「醜」の中には異形の鬼が描かれている。どうやら「鬼」が主役のようだ。

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このままコマ送りで鬼のダンスでもして欲しいくらいの可愛いイラストである。人の姿をとどめたまま頭部だけ異形になった鬼になるのだろうか。(p.96)

 

鬼が主役の漢字は面白い。

「魂」は云+鬼。云は雲、「鬼は死んだ人の人鬼で、霊となって霊界にある(・・・)人のたましいは、死後に雲気となり、霊界に入るものとされた」(p.214)。人の似姿のままふわふわと漂っている様子がうかがえる。

「魅」はもともと鬼+彡=鬽(み)で、彡は深い毛の形で、長い毛の怪物を鬽といい、「もののけ、ばけもの、すだま」の意味に用いる。魅了、魅惑のように「まどわす」の意味にももちいる」(p.603)

「魔」は梵語の魔羅で、「人に災いを与えたり、悪の道に誘いこむ悪魔の「おに」をいう」(p.599)

 

悪魔が天使の異形であるのと同様に、鬼もまた人の異形である。ジキルとハイドが一人の人間の中に同居する二つの人格であるように、天使と悪魔、人と鬼はともに互いに補填し合い心の中でせめぎ合う永遠のライバルのようなものではないか。

また、天使が幼い子どもの似姿であるように、鬼はすぐれて私たち人間の似姿である。鬼は人間とは別の種族ではなく、私たち人間の中に潜む情念が凄まじい形相で表面に現れ出たもので、時に邪悪なものとして、時には畏れると同時に神格化されたりする。言い換えれば鬼は私たち人間そのものである。その容姿は人間の想像の範囲を超えてはいず、もとより私たちの想像を超える似姿はそもそも創造できないからだ。

鬼の漢字にはもともと頭に角は生えていない。今の漢字には角が一本生えているように見えるが、白川静がこれに言及していないのがちょっぴりさびしい。鬼の故郷であるインドや中国では鬼に角はなく、どうやら日本にやってきて生えるようになったらしい。わが家ではごく稀ではあるがかみさんの頭に角の影を見ることはある。それでも鬼の形相をこれまで見ないですんでいるのは至極幸いである。