美醜乱漫(4)紅の豚

コラ・ヴォケールの歌う「さくらんぼの実る頃」が好きで、街角にサクランボが並ぶ季節にこの曲を教室で訳して見たり一緒に歌ったりする。多くの学生がこの歌を聞いたことがあるという。CMで流れたり、スタジオ・ジブリの『紅の豚』の中で、加藤登紀子が歌っているからである。

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もうかれこれ20年以上も前になるだろうか。授業で「さくらんぼの実る頃」の歌詞をとりあげて訳す練習をして、コラ・ヴォケールの歌声を聞かせて、学生と合唱したときのこと。授業を終えて帰り支度をしていたとき、教壇に一人のちっちゃな女子学生がやってきて、やおらこう切り出してきた。
「先生、怒らないでください」
「いいよ、なんでも言ってごらん」と筆者。
「先生、『紅の豚』に出てましたよね」
「エッ!」
「私、ポルコのファンなんです」。
彼女はそう言って颯爽と立ち去った。
「あわわわ」
しかたないかと思いつつ、悲しいような、でもどこかチョッピリ嬉しいような疼きが今でも胸に残っている。この作品が余韻を持って終わったのは、主人公が魔法で豚の姿に変えられていたのがフィオナのキスで人間に戻ったのだが、後ろ姿のエンディングだったため、どんな顔だったのかが分からないままだったからである。おとぎ話や物語では、醜男が美女のキスで美男に戻ったり、魔法でカエルにされた主人公が人間に戻ったりするエンディングが数多い。映画を見た観客はどのような余韻で映画館を後にしたのであろうか?
とにかく女子は「素敵な王子さま」が大好きである。「素敵な王子様なんかそんなにいないよ」と反論しても愚痴か負け犬の遠吠えみたいで情けない。しかし、我が醜男(友人は醜ーちゃんなどという)軍団にも勝ち目はある。大体イケメンは顔だけで勝負しようとするから中身が薄っぺらだ(そうあって欲しい)。醜男は工夫しなければ生きていけないので、優しさや思いやりを身につけなければならないし、一緒にいる楽しさや勇気、タフさなど日々の鍛錬も必要となる。ポルコを見習うならばさらに微笑みが欠かせない。仏頂面の醜男は最悪である。内面の美しさがなければ、微笑みも薄ら笑いになりかねないし、口元に腐臭を漂わせることとなる。
ポルコ、あなたは僕たちのアイドル、勇気と夢を与えてくれたヒーローだ。筆者はこんな余韻を胸に映画館を後にした次第である。
 
 
 

美醜乱漫(3)ボンジュー・ムスィウ

外国語の発音はどれも難しい。綴り字をどう読むのかということと、どうやって現地の発音に近づけるかとの2つの難しさがある。さらには、イントネーションや長音や撥音の区別を気にしたら、分かってもらえないのではないかと、発音するのが怖くなる。

フランス語では、「こんにちは」をbonjourと書く。元の意味は「良い日ですね」という意味だが、フランスでは「おはよう」、「こんにちは」、「さようなら」にも使う。カタカナでは [ボンジュール] としてよく知られているが、最後の子音 r がかすれて聞き取りにくいため、実際には [ボンジュー] と聞こえるかも知れない。[ポンジュース]と聞き間違えたという人がいるとか。

男の人には、Bonjour, monsieur!と声をかける。このmonsieurがくせものだ。すでに日本語になっているようなのでしかたがないとは思うが、細かく言えば[ムッシュー]ではない。フランス人の友人に「日本人にはこのmonsieurの発音が難しいんだ、ちょっと聞いてくれる?」といくつかの発音を試して見た。[ムシュウ]は×、日本語の[無臭]の感じ。前をのばすと[ムーシュ]となり、これは「こんにちは蠅moucheさん」と聞こえるので気をつけよう。ふざけて「ボンジュール・モッシュ」と言ったら、友人は片腹を押さえて笑い転げた。moche[モッシュ]とは、「ブス」「ぶさいく」という口語表現だからだ。つまり「こんにちは、ぶさいくさん」ということになる。みなさんは真似をしないで下さい。

筆者は良く小テストとして授業の最初に単語テストや簡単な文の書き取りをする。monsieurは学生にとって難題である。なぜなら、彼らは覚えるときにローマ字読みで覚えようとするので、[モンシエウル]と声に出して覚えるからだ。悲しいけれどこれが現実。確かに、monを[ム]と読ませるのは酷だ。もともと言葉は音でできているので、フランス人の発音に声を出して近づければいい。気楽に行こう。言葉が通じて互いが笑顔で心を通わせることが一番。しかし、今の若者は挨拶が苦手なのか、日本語でも言葉も出さないし表情でも表そうとしない。フランスではBonjour!と声を掛け合って、目を見て互いを認め合うのが最低限のマナーだから、いつもしっかりと挨拶することを学んでほしい。

 

 

 

美醜乱漫(2)鬼ごっこしよう

白川静の「美」の字解は実に独創的かつ明快だった。「美」に対抗する「醜」はどうだろうか?再び『常用字解』を繙いてみよう。

「醜」は酒+鬼で、「酒を酌んで儀礼を行っている姿であり、(・・・)邑に祟りがあると考えられるとき、(・・・)祟りを祓うために醜の儀礼を行う」ところから、「醜の儀礼を行う人の姿から、「みにくい」の意味となり、さらに「わるい、はじる」の意味のなったのであろう」

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墓を表す「亞」の中に、三すじに束ねた頭髪を持った人が酒を酌もうとしている様子が描かれている(p.286)。

ところで、「醜」の中には異形の鬼が描かれている。どうやら「鬼」が主役のようだ。

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このままコマ送りで鬼のダンスでもして欲しいくらいの可愛いイラストである。人の姿をとどめたまま頭部だけ異形になった鬼になるのだろうか。(p.96)

 

鬼が主役の漢字は面白い。

「魂」は云+鬼。云は雲、「鬼は死んだ人の人鬼で、霊となって霊界にある(・・・)人のたましいは、死後に雲気となり、霊界に入るものとされた」(p.214)。人の似姿のままふわふわと漂っている様子がうかがえる。

「魅」はもともと鬼+彡=鬽(み)で、彡は深い毛の形で、長い毛の怪物を鬽といい、「もののけ、ばけもの、すだま」の意味に用いる。魅了、魅惑のように「まどわす」の意味にももちいる」(p.603)

「魔」は梵語の魔羅で、「人に災いを与えたり、悪の道に誘いこむ悪魔の「おに」をいう」(p.599)

 

悪魔が天使の異形であるのと同様に、鬼もまた人の異形である。ジキルとハイドが一人の人間の中に同居する二つの人格であるように、天使と悪魔、人と鬼はともに互いに補填し合い心の中でせめぎ合う永遠のライバルのようなものではないか。

また、天使が幼い子どもの似姿であるように、鬼はすぐれて私たち人間の似姿である。鬼は人間とは別の種族ではなく、私たち人間の中に潜む情念が凄まじい形相で表面に現れ出たもので、時に邪悪なものとして、時には畏れると同時に神格化されたりする。言い換えれば鬼は私たち人間そのものである。その容姿は人間の想像の範囲を超えてはいず、もとより私たちの想像を超える似姿はそもそも創造できないからだ。

鬼の漢字にはもともと頭に角は生えていない。今の漢字には角が一本生えているように見えるが、白川静がこれに言及していないのがちょっぴりさびしい。鬼の故郷であるインドや中国では鬼に角はなく、どうやら日本にやってきて生えるようになったらしい。わが家ではごく稀ではあるがかみさんの頭に角の影を見ることはある。それでも鬼の形相をこれまで見ないですんでいるのは至極幸いである。

 

美醜乱漫(1)美

「美しい」という漢字が、羊+大で「大きな羊は美しい」という漢字の成り立ちがあると初めて知った。目から鱗がまず一枚。

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そもそもは、フランス語の授業中に形容詞の説明をしていたときに、フランス語で「美しい」はbeau、「綺麗な」は joli、「可愛い」は mignon って使い分けるけど、どんな意味の違いがあると思うと聞いてみたことに始まる。英語では、beautiful, pretty, cute, lovelyと使い分けるとか、「美しい」は上位、「綺麗」は「美しい」より劣るけれど、相手を傷つけないように上手に褒めるときに使う、「可愛い」は抱っこしたい感じ、などいろいろな感想がでてくる。筆者は、対象へに接近できる距離感に違いがある、などとこれまで説明をしてきたが、ちょっと自信がなくなってきた。

「美しい」はもともとその感じ方に個人差があり、美しいものとそうでないものの境界ははっきりしない。そこで辞書ではどうなっているのかいろいろ当たってみた。

筆者の「座右の辞書」に当たってみる。まずは小学館「国語大辞典」。「上代は主として肉親に対する愛情を表わし、現代の「いとし」「かわいい」などの意味に使われ、(・・・)中古以降はこの他に情意性、状態性、とを兼ね、特に小さいものに寄せる愛(・・・)「愛らしく美しい」の意に多く使われ」とある。今時の女子は何でも「カワイイ」と言うなどと嘆くおじさんは多いが、何のことはない、女子の方がはるかに言葉の本質を見抜いている。

 もう一つの座右の辞書である仏仏辞典のプチ・ロベールPetit Robert lを繙くと、「ラテン語の「綺麗」を表す bellus < joli > に由来する。Ce qui fait éprouver une émotion esthétique「美的情動 ( sentiment d'admiration「賞賛の感情」)を感じさせてくれるもの」、Qui plaît à l'œil。「目を喜ばせてくれる」とあり、日本語の「眼福」という雅な言葉を思い出したが、今ひとつしっくりこない。。

漢和辞典に頼ってみる。漢字の成り立ちは面白い。かつてフランスの小学校で授業参観をさせてもらったときに、日本語の授業をやって下さいと頼まれ、小学校3年生のクラスで漢字の成り立ちについて授業したことがある。小学生の日本語の漢字についての興味の寄せ方が面白くて、白水社の雑誌「ふらんす」(2009年10月号)に寄稿させてもらった。そのとき準備のために参考にした漢和辞典が白川静著「常用字解」(平凡社)である。昨年引っ越しをした際に行方知れずとなりこの度2冊目を購入した。

白川静の解釈は群を抜いている。辞書を引き始めたら、次々と引きたくなりどうにもとまらなくなるほど面白い。冒頭の写真は、「常用字解」のページを写メしたものである。

「羊は羊の上半身を前から見た形であるが、羊の後ろ足まで加えて上から見た形が美である。美の下の大は(・・・)雌羊の腰の形であるから、羊の角から後ろ足までの全体を写した形が美である」何という美しい解釈であろうか。雄の腰では大にならないと喝破した白川静に思わず拍手したくなるほどだ。さて、この説明を美大のクラスで話していると、一番前に座っている女子学生がわずか2,3分で羊の落書きを完成させたのに驚いた。あまりに可愛いので署名してもらい写メさせてもらう。何度見てもにやっとしてしまう傑作だ。大体、羊を後ろから書いたイラストなど見たことがない。

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